教えてほしい映像制作
任天堂への売り込みに奔走「なぜこんなものを採用したんだろう」Kは、任天堂の新製品が、技術的にはあまりにも逆行するものであることに驚くと同時に、あのファミコンを開発した任天堂ともあろうものが…、という思いに駆られた。
それが一九八六年二月二一日に任天堂が発表した、コアイスクシステム』だ。
データをセーブするためのファミコン周辺機器なのだが、ディスクの読み出しに八秒、書き込みにはなんとその三倍の二四秒もかかる。
「技術的にはまったく遅れたものでした。
わずか三〇〇回転のディスクで、容量もたつた六四キロバイト。
ランダムアクセスもできないもので、なぜこれを発売したのか理解できなかった。
我々の開発した二インチ・フロッピーは、三六〇〇回転で一メガバイトの答量です。
任天堂のマスクROMカートリッジは容量をピットで表していたから、この言い方をするとフロッピーは八メガビットもあるわけで、当時のソフトは問題なく収まります。
任天堂は、こんないい技術があるのを知らないから、ディスクシステムなんか使っているんだと思いましたよ」。
ファミコンの素晴らしきに感心し、任天堂には注目していたKだが、ここでいかにも彼らしいのが、思い立ったらすぐに相手先に出かけて行くところだ。
「こうと思ったら、迷わず行動に移る」。
やり過ぎることがあるほどのアグレッシブな行動力は、時には周りに波紋を投げかけるが、後に自力でプレイステーションを立ち上げる時の大きな牽引力となった。
八六年四月一五日、Kは任天堂にアプローチを始めた。
任天堂には、それ以前からデバイス部門の営業マンがソニー部品の採用を狙って売り込みをかけていたが、商売をする段階までは至っていなかった。
京都の任天堂本社に伺つては、お茶を飲んで帰つてくるという繰り返しだった。
Kはその営業マンと連れ立って、京都に降りた。
任天堂の担当者は、「ふーん、面白いものがありますねえ」と、言ってくれた。
しかし、その時はそれだけで、進展はなかった。
「任天堂に的を絞,ったのは…」Kは言う。
「将来、絶対にゲ-ム機が家庭の中でエンターテインメント・プレーヤーの中心になるとの確信があったからです。
ところがそれは当時のソニーでは、とても理解されない考え方でした。
ゲーム機なんか、たかがおもちゃで、ソニーがやるものじゃないと多くの人が考えていたんです。
エンジニアも、ゲーム機に使われる技術なんか、どうせロ-テクに決まっている、というような思い込みがありましたね」。
Kのデジタル好みは、社内の一部でこそ知られていたが、彼の言動に賛同を示す人は少なかった。
それどころか、デジタルを唱える危険分子的な見方をする人の方が多かった。
当時のソニーのビジネスの根幹はアナログ・ビデオであり、パソコンはMSXがあるのみ。
しかも、それも失敗が続いていた。
「ソニー社内でいくら、ゲーム機の重要性を訴えても無駄でした。
昔からの人は、なかなか意識を変えられない。
かといって、社外でベンチャーを気取っても、ゼロから新ビジネスを興すのは時聞がかかる。
すると、変えられるのは外からだけじゃないですか。
この領域で最も元気の良いところと一緒になってやる。
我々の技術を売り込み、これで実績を作って、それを次の飛躍の糧とする。
そう考えたんです」。
この分野、今ではITと総称して呼ばれる分野で商売するためには、そのための仕組み、つまりビジネスモデルがなければならない。
ところが、当時のソニーには、そんな発想を持った人聞はK以外に誰一人としていなかった。
KはITで儲かる仕組みをなんとか創り出したかった。
この時の任天堂へのアプローチは、すぐには商売には結び付かなかったが、次に売り込みをかけた円CM音源システムは認められ、スーパーファミコン用の音源ICとしてソ7が一手に開発、供給するところまで進んだ。
任天堂はファミコンでFM音源を採用していたが、技術の進歩にこだわる久Tは、「これからのゲ-ムは、FM音源なんか採用していてはダメだ、音質が良く自由度の高いPCM音源じゃなきゃ」と、任天堂の技術陣に説いて回った。
ある時は、任天堂HFM音源、ソニーHPCM音源の聴き比べ対決までして、ソニーの技術力を見せつけた。
音の良さという絶対的な尺度で判断するなら、FM音源よりソニーのPCM音源の方がはるかに優れていたが、それまでのソフトウエア資産はFM音源であることが、任天堂を今一歩のところで跨時させていた。
しかし、FM音源と決定的に異なったのは、ソフトによる柔軟性だった。
FM音源はそれなりに良い音を出せるが、数年というスパンでいろいろな可能性を秘めているのはPCM音源方式の方だ。
ソフトによる柔軟性は、ゲーム機を設計する上で、基本中の基本となる。
結局、Kの提案が採用され、これがきっかけで、その後ソニーと任天堂が急接近し始めることになる。
二祉の共同作業が次のステップに入ったのが、プレイステーション・プロジェクトであった。
「プレイステーション」という名前は、任天堂との共同開発の過程で生まれた。
Kの発想の最優先には、常にソニーがあった。
ソニーにとって、いかにゲーム機が将来大切なものかを、自らが実証するという目的での任天堂との提携であった。
ソニーの技術をいかにこの分野に活用できるか、その格好の舞台としてプレイステーションを発想したのである。
「仕事用のコンピュータが。
ヮ-クどステーションでしょう。
それなら、遊びのコンピュータならかプレイステーションですよね。
でも、当時のソニーではなかなか、そんなコンセプトなど分かってもらえなかった」とKは言う。
そこで、ステージとしてCDを考えた。
ソニーとフィリップスがCDを開発し、発売してから五年以上が経過しており、世の中にはCDプレーヤーが多数出回っている。
しかも、携帯用のCDプレーヤー(ディスクマン)も、ものすごい勢いで伸びている。
ならば、これらCDプレーヤーとスーパーファミコンをつなげたらどうかという発想から生まれたのが、当初のプレイステーションである。
「スーパーファミコン+CDがプレイステーション」だったら、ソニーと任天堂の組み合わせとして最高だとKは思ったのだ。
一九八九年一〇月に、数人のエンジニアで設計を始めた。
この時、Kはこんな所感を業務報告書に書いている。
Kのゲ-ム機に関する考え、そして戦略的な思考が明確に表出されている。
「音声の入出インターフェイスにAI機能をリンクさせた、楽しいコンピュータを企画中。
知性を持つペットを作ろう」「プレイステーションを開発する。
ゲーム、電子楽器、音楽、AV、文具…を融合した、中高生向けのシステムを企画する。
初年度三〇〇万台のインパクトを目指す。
その手段はスーパーファミコンであり、今後、さらにコンセプトを明確にする」「スーパーファミコンのゲ-ムの世界とデジタルオーディオの世界をドッキングさせる新しいフレームを作り出す。
いかようにもデ-タを料理できるハイテク・ツールへと変貌ちせる」「プレイステーションの佐置付けは、将来のデジタルドメインとし、家庭にコンピュータを導入する布石とする。
任天堂と共同で、九0年代前半に家庭用コンピュータのインフラを構築する。
そこではソニーのAV技術を有効にリンクさせる。
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